小学校に上がる前

病弱だったらしい 小児喘息 卵アレルギー
毎日朝晩二錠ずつくすりのんでた
喘息の薬で中学はいるちょっと前くらいまで飲んでたと思う
まぁおやが気を使ってくれたらしいのはおぼえてる
毎日掃除機かけてたし でも僕は掃除機が好きじゃないなんでだろう。
卵を使わないで料理を作るのは大変だったろうとおもう
反動もあってか僕は卵がすき

保育園にいた 
たぶん人生のハイライトはここにあったといっても過言ではない
たぶん生まれてこの方こんなにもてた時期はないだろうとおもっている
お嫁さんになるっていってくれる人いたとかいないとか

スイミングなんかにもいってたと思う
電気屋でたまにできるマリオワールド4をやるのがたのしみだった。
ソ連が崩壊したとか 星のカービーのGBのCMやってたきがする
親の方針で9時には寝かしつけられてたと思う

親に連れられて何人かで山に行ったり海にいったりもした

近所の山に行ったときによなかに
喘息発作を起こしてふもとまでおんぶして下ろしてもらったときは
ちょうど夜で町の電気が走馬灯のようだったのを覚えている
おやも夜中に家まで送ってまた戻ったらしいから大変だったろうに

佐渡に連れて行かれたころだろう。
海に行ってあそんだあと 
姉さんにお風呂に入れてもらったのを思い出した
なんて うらやましいやつなんだ
親に聞いたら高校生っていってたけど 
頭の中では成人してるとかってにおもってた

あとまぁ悪がきだったと思う 
保育園にきてた教育実習生のお姉さんを泣かせた覚えがあるし
隣接していた園長の家に忍び込んだり
なんて極悪非道だったのだろう。 
悪いことばかりしていたので園長の嫁にもよく起こられた覚えがある

親の知人でまっちゃんって 大学卒業したくらいの知り合いのお姉さんがいた
顔は覚えてないけどなんとなく好きだったので
初恋はこのお姉さんじゃないかなってかいてて思い出した
そして結婚したって話を聞いて少ししょんぼりしたのも思い出して今しょんぼりしてる

延々と思い出せることに気がついたのでこの辺でやめてとこ

最後に保育園卒園まえから 新居を作ってた
ちょっとはなれたところに引っ越すことになった
父の親とあわせて六人家族になった あと弟と二段ベットになった ちょっと楽しかった